「古教照心」とは素晴らしい本を読んだり、素晴らしい話を聞くと心が照らされるということになります。
人によっては1冊の本で人生が変わるような感動を受けることは珍しくありません。
ただ、最近は情報過多でゆっくり本を読みたいという気持ちさえ起きない人が増えてきているのではないでしょうか。
垂れ流される受け取る受け身の情報と本から主体的に取り込むものは明らかに違います。
これは虎関師錬(こかんしれん)というお坊さんの言葉だそうですが「古教照心」のあとに「心照古教」と言われています。
「心照古教」とは本や教えに心を照らされる私たちに、その本もまた照らし出されるということです。
どんなに素晴らしい本があっても、それを読む人がいなかったら、感動する人がいなければ、その本は存在しないことになります。
よい本だけでなく、よいもの、本当のものを見つけることは、受け取る私たちに課せられてるような気がします。
垂れ流される情報に満足してしまうと、本当の「必要なもの、よいもの」を求めることのないまま過ごしてしまうと思います。
自分の頭、心で「良い本、よいもの」を見つけて生きていきたいですね^^