礼器碑文は桓帝の永寿2年(156年)魯相の韓勅の功績を述べたもの、だそうです。
中国史が詳しい方もなかなかピンとこない内容だと思いますが、
その当時建碑に際して醵金した人達の官職、姓名、金額が刻されているものです。
多くの碑文は個人の功績をたたえるものだったり政務記録のようなものなので、
それを現代の日本で臨書しているのは不思議な気もします。
結局臨書というものは当時の空気や書き手の息づかいをなぞっている感覚になります。
教材の解説の紹介になりますが字形は方整で精妙、温雅です。
隷書の正統派の極地といえる字といわれていて、鋭い特徴的な波磔をもつ書体は八分隷の極限を示した気品を感じます。