顔真卿の書に思う

午前レッスンのあとに東京国立博物館で開催している顔真卿展に行きました。
画像の巨大拓本は唯一の撮影OKの山東省泰山の「紀泰山銘」唐の玄宗帝の筆と言われるものです。
玄宗帝も王義之に学び、こんなに美しい書を書いたのかと思うと、
今王義之に学ぶものとしては書道の歴史の長さと深さを感じました。

ただ「紀泰山銘」は立派すぎて本当に玄宗帝の筆なのか?名前だけ??なんて思ったり^^;
真相はわからないですが立派な隷書の大作でした。
会場には今回主役の顔真卿をはじめ、
有名な古代の書家たちがほぼ手本としていた書聖王義之の拓本もたくさんあります。

今、なお私たちが手本としている王義之の書が1500年以上前からこんなに学ばれていたかと思うと、
あらゆる書家とのつながりを図々しくも感じてしまいました。
あとは吸収したものをいかに自分を通して表現していくのかということなんですが、それが難しい^^;

展示については「王義之を超えた」、書の発展を見せていく内容ですが、
優劣の超えるではなく、
表現の上での変遷(超えていく)を感じられるもので面白かったです。

とくに隷書を書く私には隷書風な温かみと大らかさを兼ね備えた顔真卿の楷書は魅力的です。
今まで意識してはいなかったのですが「好きな書」であることも再認識することができました。

また、書道人気にも驚きました。
人が少なそうと見込んだ夜の時間帯でも一番の見どころの「祭姪文稿」には30分待ちの行列!
やっぱりデジタル時代において、書は再評価されつつあるきがします^^

やはり真筆のもつ迫力や魅力は違うんです。
「祭姪文稿」は顔真卿が安史の乱で若くして非業の死を遂げた親族への哀悼をしたためた書。
徐々に乱れていく書の様子に見るものはみな心が揺さぶられてきたのです。
真筆は筆意がより鮮明に受け取れるので息遣いを感じることができます。
1000年以上のも前の名跡を一堂に会して真筆の息遣いを伝えてくれる今回の展示はとても貴重でした。

書や芸術の鑑賞の視点としてはずれているのかもしれませんが、
私はだれが書いたかわからないものでも時を超えて残る真筆に惹かれてしまうようです^^;
江戸時代の落書きなども大好物。
(ちなみに絵では完成品以上に鉛筆書きや下書きのデッサンものに完成品よりも魅力を感じます)
やはり息遣いをよりリアルに感じるからだと思います。

息遣い。

それが伝えられる書作を目指したい、
それを感じてみたいと思われる存在になれば、
自分の書にも価値が付くんだろうと妄想しながら、

ただ一介の書を学ぶ者として「日々精進」を肝に銘じた夜となりました。

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